自分が“幸せ”を感じるのは、どんなとき?

opinion

んー、なんとなく語りたくなったので、つらつらと書きます。(注:ひまな人だけ読んでね)

2019年のバケットリスト(目標)の中に、“Giveする”というのを書いたんだ。なんで、誰かにGiveをしたいと思ったのか、深堀してみたよ。

幸せってなんだろう?って考えてみた。

自分の幸せが分からない。

23歳くらいだったかな。将来のことを考え始めて、頭の中をぐるぐると私にとっての“幸せ”ってなんだろう??ってずっと考えたての。でもすぐに答えが見つからなくて、何度も考えたんだよね。

【お金があったら幸せかな?】
不自由ない生活に、好きなお洋服買って、旅行にたくさん行って、おいしいもの食べて。って想像してみた。普通に憧れる暮らしだけど、3年くらいで飽きるなって思った。自分だけを満足させることで得られる喜びって一瞬だし、なんかさみしいなって。

【結婚するのが幸せかな?】
女子の多くの憧れ的な結婚。いつかはしたいなーって思ってたけど、願望が強くなかったから、若い時はとくに、結婚を幸せと思ってなかった。むしろ世間と接することが少なくなって窮屈になるから、結婚するまでに好きなことをたくさんしておかないと!って思ってた。

【好きなことだけしてたら幸せかな?】
毎日自分の好きなことだけして過ごしてたら、最高じゃん!って思ったけど、これも自分だけ満足することだから、きっとすぐ飽きるなと。

こうやって、日々何が本当の幸せかを考えたんだけど、全然わからなくて、結構この時無気力で生きてた。“場面”ってやつw 毎日同じ友達と飲んで、会社行って、長年付き合っている彼と暮らして。ああ、このままおばあちゃんになっちゃうのかなって。毎日同じ。働く意味もなく。なんとなく。

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幸せすぎて泣いた。

そこから少し経って、東日本大震災のボランティアに行ったの。ガレージの修理を手伝ったり、畑にじゃがいも植えたり、わかめ漁のお手伝いして、仮設住宅のお年寄りのお話相手になったりして。

力仕事もそんなできないし、私なんかが役に立つかわからなかったけど。ボランティアに行った先のどの人もすごく喜んでくれて、被災して生活大変なのにお土産持たせてくれたり、お手紙くれたりして。ボランティアから帰る時に、すっごく嬉しくて感動したの。

それでボランティアバスに乗って町を出るときに、歩道にあった手作りの看板にペンキで手書きされた大きな文字が目に入って、号泣した。だってさ、その町は被害が大きかった南三陸町で、全部流されて視界に建物なんてない場所に「世界中のみなさんありがとう」って書いてあったの。上手く言葉に表せられないけど、幸せな気持ちになって泣いた。

さらに自分の幸せについて考えた。

ボランティアをして私が支える立場なのに、すっごく幸せな気分になった。それから少し考えが変わってきて。

18歳の頃から定期的に献血も行っていたんだけど、無料でお菓子がもらえるから行ってるって自分でも思ってたけど。本当は、誰かの役に立つのが嬉しくて、また献血に行っていたのかもしれないって。

当時25歳頃、転職して、長年付き合っていた彼とも別れ、いつもの友達と毎日飲むのも辞め、たばこも辞めて、環境を変えたんだよね。思い返せば、もっと世の中に必要とされたいって自覚して、習慣を変えたのかも。

上場企業に勤めて、実家暮らしで、ランチはお弁当持参、飲みもたまに、月に20冊本を読んで、週3でジムに通う、超健全な生活。不自由ない生活だったんだけど、なんだかやる気がでなくて。

なんでだろう?って考えた時に、自分が幸せだって思ってた自分だけ満足する生活が、全然楽しくなかったんだよね。だれかの為に何かしてあげることができれば、もっと幸せになれるのかなと思って、コンゴ共和国の子供への支援を始めたの。

私が働いたお金で誰かの生活が少し助かると思うと、仕事する気も少しわいてきたり、気持ちもなんだかほっこりして。しかもね、支援している子供とお手紙のやり取りをしていたんだけど、いつも“さおりの幸せを願ってます。”って最後に書いてくれて、とても温かい気持ちになるの。こっちが支援してる側なのにね。

そんなこんなで、少しずつわかってきたのが、私にとって幸せを感じるときは、誰かの役にたったり、喜んでもらえた時なんだなって。

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Giveする側のが幸せなんじゃない?

芸人の西野がオンラインサロンを運営していて少し話題になってるのは知ってるかな?そのサロンで、大人の学校サーカスというイベントをやったんだけど、その時のスタッフは、観客よりも高い金額を払って参加していたの。

お金を払ってスタッフやるなんて、宗教だとか色々ざわついたんだよね。そのことについて、西野さんが書いたブログがあって、すごく納得したの。

ここでのポイントは、200人のボランティアスタッフ全員が自分でお金を払って参加したこと。スタッフが支払った金額は5500円で、B席(3000円)よりも2500円ほど高いです。 『お金を払って働く権』が人気な理由は、満足度の観点から考えていくと、スンナリと答えが見えてきます。

たとえば、友達に『サプライズ』をする場合、サプライズをする側と、される側の満足度は、どちらの方が高いでしょうか?

もちろんサプライズされた側は「皆が自分の為に、こんなに時間を使ってくれたんだ」と、泣くほど嬉しいですが、そこでサプライズされた側が泣こうもんなら、サプライズした側は、もっと嬉しいです。「大成功~!イェ~イ!」というやつです。

あの時、お金を払っているのは、サプライズされた側ではなくて、サプライズした側です。受信者(お金を払って受けとる人)と発信者(お金を受けとって発信する人)という考え方ではなく、満足度の高い方がお金を払っているという考え方ですね。(※ここ需要ですよ)


(参照)https://ameblo.jp/nishino-akihiro/entry-12396198140.html

私が幸せに感じるポイントはこれなの!サプライズする側の気持ち!

そしてね、今入ってるyusuke okawaサロンのゆうすけ君も同じようなことを言っててね。Giveをしてきたから、信用が生まれて、サロンにも人が集まって・・・。と、そのメッセージの最後にGiveしている人の例として、私のことを紹介してくれんだよね。

みんなスタンプ(リアクション)が少ししかつかないけど、私のコメントについたスタンプがすごく多かったの。これはね、私がサロン内で、自分がGiveできることをたくさんしたからだと自分でも思ってる。

動画のサロンなのに動画のことは全然わからない。けど、自分が分かることを分かる範囲でコメントしたり、色々な人に絡んでみたり。そうした結果、オンラインでしか知らないのに、こうやってたくさんの人からスタンプを押してもらえてほっこりしたの。

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さいごに。

要するに、Giveする方が私は幸せを感じます。

もし使いきれないくらいお金があったとして、自分のためだけに使っても幸せに感じないと思う。私がもし使いきれないくらいのお金をもっていたら、誰かにGiveしてその人を応援する方が幸せを感じられると思う。良い例がZOZOの前澤さんみたいなね。

2019年のバケットリストに“Giveする”と書いて、毎日意識して過ごしているんだけど、すでにGiveしていることによって、誰かの役に立ったり、誰かの背中を押すことができていて、私も幸せな気持ちで過ごせてる。その幸せな気持ちで、他のことも全力で行動できていると思うし、色々引き寄せてるよ。

もっと私が活躍したり、前にでたり、稼ぐことができたら、それを周りの人にGiveして生きたいな。ということで、これからもがんばります!

みんなはどんなときに幸せを感じる?